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ブータンの国土と人々の暮らし

皆さんご存知だと思うのですが、念のためにブータンについて少々説明させて頂きます。ヒマラヤ密教を国教とする仏教国で、人口は六十七万人ですから、人口から見れば小さな国です。地図上の平面の面積は、九州とほとんど同じです。ただ、実際にブータンに行きますと、北は中国、チベット、南はインドにはさまれている国で、南のインド国境は熱帯ジャングルで、海抜二〇〇メートルくらい、北はヒマラヤ山脈で、七千メートル級の山々です。その南北の直線距離はいちばん長いところでたったの二〇〇キロ。ですから非常に険しい山国で、ヒマラヤの氷河の融け水やモンスーンの雨を受けた激流が、とうとうと流れる国です。そういう川々が年月をかけて彫り上げた山と谷が、非常に複雑に組み合っています。

初めて国王陛下から謁見を賜った時に、陛下が「ブータンは小さい国だけれども」と言われたので、私は「陛下、それは違いますよ。ブータンの立体地図にアイロンをかけてごらんなさいませ。そうすれば、たぶんインドくらいの面積になるのではないでしょうか」と申し上げたことがあります。

国民平均所得という物的な経済指標から見ますと、決して豊かな国ではありません。今のところ、国民一人当たりの年間平均所得は十万円を切っていますから、そういう測り方では貧しい国に入ります。

三~四十年前は、車道などない、電気も水道もない、自給自足の物々交換が殆どの中世経済的な国でした。ブータンに行かれた方は、もうご存知と思いますが、今日では近代国家の形をなしているわけで、エコノミストとしてブータンを見た場合、驚異的な高度成長を短い期間で遂げた国と言えるのです。

その驚異的な近代化をリードした人が、現国王、ジグメ・シンゲ・ワンチュク王です。即位なさったのは、一九七二年だったと思います。先代が急に心臓の病気で亡くなられ、十六歳で即位なさいました。もちろん大学教育は受けられなかったのです。それどころか、小学校の頃、イギリスの寄宿舎制パブリックスクールに送られたのですが、数年でもう来なくてもよいと言われた「問題児」だったそうです。大喪の礼の折、初めて日本を公式訪問された時のテレビの映像で、凛としたお姿を思い出される方が多いでしょうが、実物は、なんて言ったらいいのでしょう・・・まるで、「暴れん坊将軍」の新さんにそっくりな方です。(笑)それが皆様にお伝えしたいブータン国王のイメージです。

協力:社団法人 学士会
本稿は平成18年10月10日夕食会(学士会が会員向けに毎月開催している)における講演の要旨です。

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